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東京 第3話 

大島町「谷口酒造」 谷口英久 (後編)


(取材・構成/高山リョウ PHOTO/MIZUHO

大島町「谷口酒造」 谷口英久 (前編)

お金を稼ぐことは難しい。
お金を使うのは簡単である。
けれども一円玉一枚を使って買い物をしようとすると、それは難しいことになる。
それは売る人の「価値」を問いただすことになるからだろう、と思った。
(谷口英久『一円大王』まえがきより)

現在、大島で焼酎「御神火」をつくっている、谷口英久さん。
前職は「散歩の達人」や産経新聞で連載を持つ、フリーライターだった。
「散歩の達人」の人気連載で、単行本にもなった『一円大王』(道出版/02')。

1.一円で物を買う。2.知り合いの店では買わない。3.領収書をもらう。

この3つをルールに、90年代後半の東京の街を、谷口さんは歩き回った。
目白の床屋で1円ぶんの散髪、曇天の銀座で1円ぶんの靴みがき、新宿のサラ金で1円だけ契約…。とんだ散歩もあったものだ。
いま目の前にある、真綿のような笑顔の奥。僕の知らない谷口さんの向こうみずが、そこにあった。






1 「東京に出たかった」





ーー僕もたまに聞かれる質問なのですが、谷口さんは、どうやってライターになったのですか?

「どうやって。うーん」


ーーいや、僕もいつも、うまく答えられないですけど。「気づいたら」とか「名乗ってしまえば、その日から」とか(笑)。よくわからないですよね。


「幼い頃、母親が病気がちで、入退院を繰り返していたんですね。東京の病院に。それで小1から、手紙のやりとりをよくしていたんです。それが元なのかな? 何か原稿を書くような仕事、もしくは本屋さんになりたいと思っていましたね」


ーー家業を継げとは、言われなかったのですか?

「それはもう、ずっと言われてました。僕も家を継ぐことは、決してイヤではなかったけど、もっとやってみたいことがあった。小説が書きたかった。でも、どうすればいいかわからなかったので、とにかく東京に出たかったんですね」


ーー上京したのは、いつですか?

「高校を卒業してからです。神楽坂にある住み込みの酒屋で学費を稼ぎながら、夜間の大学に行きました。父は『東京に行くなら、簿記の学校に行け。そうでなければ学費は出さない』と。でも僕、数学も計算も苦手だったしねえ(笑)。神楽坂の酒屋はすごく厳しい所で、最初、時給500円。ごはんは出るけど、夏は腐るんですよ。それを洗って、おはぎにして食べたりね」







ーー丁稚の世界ですね。

「本当、丁稚ですよ。すごい面白かったですよ」


ーー高校の同級生は、どれくらい上京しましたか?

「3分の2は上京しましたね」


ーーやっぱり。昨日今日と島を見てて思ったんですけど、大島で働くとなると、農業、漁業、建設業がメインですか?

「そうですね。あとは役場。それから観光」


ーーそれだと特に10代の頃は、島から出たくなるでしょうね。

「だけど僕も、小説家になりたくて東京には出たものの、今考えれば、そんなもんで食えるわけがないですよね。まあ、食えるわけないっていうのも、おかしいですけど」


ーー目標にしていた作家とかはいたんですか?

「いろんな人を読んでいましたから、誰が目標とかはなかったですね。ただ赤瀬川(原平)さんには、びっくりしましたねえ。芥川賞とったのを大学の時に読んで、『へえ?』と思った。そして大学4年の時に、美学校というものがあることを知るんです。赤瀬川さん、南伸坊さん、亡くなられた渡辺和博さんらが講師をされていた学校で。生徒は20人程度と少数、学費も高かったんですけど、大学3年間、住み込みで働いた貯金があったので、入ることにしました」

ーーご両親は反対されませんでしたか?

「父はすごく怒りましたね。上京して大学には入りましたけど、卒業後は帰って、家を継ぐ約束をしていたので。母は泣いていましたね。でも、とにかく大島には帰りたくなかった。21歳の時でした」








2 「美学校にて」




「行ってわかったんですけど、美学校に行って、別に何がどうなるってことじゃないんですね。それで小説家の道が開けるとか、そんなことは全くないことが、何ヶ月かしてわかった」

ーー美学校って、何をやる所なんですか?

「僕の飲み込みがあまりにも悪くて、1年目は、赤瀬川さんが何言ってるかわからなかったんですね。コウゲンガクの授業というのがあって、」


ーーコウゲンガク?

「考古学に対して、考現学。現代を考察する」

ーーああ、なるほど。

「だから身の周りのもの、何でもいいから研究しろ、発表しなさい。それをお酒飲みながら、みんなで2時間くらい話す授業なんですね。だけど、つかみどころがないので、わけがわかんないんですね。
ある人は、タバコの吸い殻が落ちている状況を調べて、日付、イラスト入りで細かく記録してきたり。ある人は、洗濯物がどのように干されているか。またある人は、デパートの呼び出しアナウンスが、店によってどんな特徴があるか…とかね。研究して、発表する。
で、僕はそれを見て、『へー、すごいな』とは思うんですけど、自分にできるかというと、できないんですね。思いつきもしない」

ーーうーん。

「だけど何故か赤瀬川さんには気に入られて、1年間の授業が終わった後、ボランティアで美学校の助手を1年やることになったんです。赤瀬川さんの話をもう一度繰り返し聞けたり、南さん、渡辺さん、一線で活躍している人たちの話を聞けて、それはすごくよかったですね。ただ、助手的なことは全然できなかった」






ーーそうだったんですか?

「一度、ナベゾさん、渡辺和博さんの授業で、ナベゾさんが話をしても、誰も何も言わない時があったんです。ナベゾさんもその雰囲気がイヤだったらしくて、『君たちが黙ってるなら、僕も黙ってる』って、何も喋らなかったんですね。そういう時こそ、助手の僕が何か言わなきゃいけないのに、でも、何も言えないんですね。それでみんなで2時間、ずーっと黙ってた」

ーー(笑)。

「そんな授業でした(笑)。助手らしいことができず、自己嫌悪に陥りました。だけど赤瀬川さんは、仕事の現場にも連れていってくれて、そばに居させてくれたんですね。自分では、何故そんなに目をかけてもらえるのかわからなかったし、現場でも、ただぼんやりしてるだけだったんですけど」

ーー感銘を受けた作品を書いた人と、そうやって縁ができるというのは、すごくラッキーですね。東京に出てきたからといって、誰もができることじゃない。

「そうですねえ。美学校の2年目には『路上観察学会』というのも始まって、建築史家の藤森照信さん、マンホールの蓋を研究していた林丈二さんといった方々とも知り合うようになりました」


ーーでは、今の谷口酒造のショールーム、ツバキ城≠藤森さんが設計したというのも、その時の縁で?

「そうなんです。だから僕は、会った人には、すごく恵まれていますね」


ーー美学校の同級生で、現在、第一線で活躍されている方って、いますか?

「いないですねえ。いや、一人いるか。ライターやってるのがいますね」


ーー友達づきあいが続いている人は?

「それはいますよ。…言われてみれば、妻も同級生でした(笑)」









3 「じゃあオレ、一円大王!」




ーーそれで改めてなんですけど、谷口さんはどうやってライターになったのでしょう(笑)? 初仕事は?

「美学校を出た2年後、世界文化社という出版社から『アベニュー』という雑誌が創刊されて、『何か書かないか?』という話が来たんですね。『いろんな街の本屋さん、面白い本屋さんを見つけてきて、書くように』と。記名原稿では、それが初めての仕事ですね」

ーーそのオファーは、どういうルートで?

「それがね、よくわかんないんですよ。赤瀬川さんが口をきいてくれたのかと思って、聞いてみたら、『いやオレ何もしてないよ』って。でも赤瀬川さんの近くにいるからってことで、仕事が来たのかなあ?」

ーー編集部から谷口さんに、電話がかかってきたんですか?

「そうですね。それが24でしょ? 25歳くらいになると、完全に赤瀬川さん絡みではない、全然別の所から仕事をもらうようになって。だんだん知り合いが増えていったからなんでしょうけど。美術手帖の『デザインの現場』という雑誌で、美術館巡りの連載をもらいました」

ーーなんかすごそう。

「それが原稿料があまりにも安くて、誰も書く人がいなくて、打ち切りを考えてる連載枠だったんですって。それで、『これで最後だから、お前やってみないか?』と言われて、1回やってみたんですね。栃木にある『奇石博物館』という所に行ってきて、原稿を書きました。そしたらファンレターみたいなのが来て、編集長もびっくりしちゃって。『この連載で手紙もらうなんて初めてだ。感動したって書いてあるぞ』って。それでもう、うれしくなってしまって」

ーーそれはうれしくなりますよねえ。

「それから、だんだん仕事がもらえるようになったんです」







ーーその頃、仕事とは別に、自分で小説は書いていたんですか?

「書いてましたね。それはずっと書いてました。文章の練習とか、美学校時代にしたわけでもないし、美学校の頃から小説はもちろん書いてましたけど、それを赤瀬川さんが見て、何か言ってくれるわけでも、もちろんない。赤瀬川さんも、そういうの苦手なんでしょうね。人の書いたもの、あまり読みたくない。『全然オレは読まないから』って感じだったんですね」


ーーなるほど。それで、谷口さんの代表的な仕事だと思うんですけど、単行本にもなった「一円大王」。これはどうやって始まったんですか?

「美学校時代に話はさかのぼるんですけど、考現学の授業で、発表できなかった人は、罰として1円ぶんの買い物をして、レポートを書かなければいけなかったんですよ。それで過去にいろんな人が書いたレポートを読んだら、これが面白かったんですよ。僕も自分で発表はできなかったけど、これならオレにもできるなあと思ったんですね。自分の体験したことを書いていくというのが、すごく面白かった」

ーールーツは、美学校の宿題?

「赤瀬川さんも本にまとめる気はなかったので、『じゃあ僕が』と思って、どこかで連載できないかと、ずっと探していたんです。ライターとなり、仕事も増え、産経新聞でも連載を持つようになって、だいぶ自信もついた頃でした」

ーーあたためていたものを、形にできる時期が来ていた。

「だけど、あまり食いついてくる所もなくて、そんな時、『散歩の達人』が立ち上がって、編集長から『ぜひ谷口と仕事をしたい』という話が来たんですね。同じ出版社の『旅の手帳』という本で以前、巻頭の特集をやらせてもらったことがあって、それを読んでいた人が、編集長になった。『何でもいいから、何か連載やれよ』という話になったので、他にもいくつか企画を持っていったら、『1円玉のがいい』って。それで始まったんです。96年の事でした」

ーー『一円大王』のネーミングの由来は?

「当時、いろんな大王が、『つけめん大王』とかあったんです。じゃあオレ、一円大王!って」

ーーははは! 

「最初は床屋とか、定価の決まっている所に行っていたんです。たとえば3000円の床屋で、1円ぶんだけカットしてもらうことはできるのか? できたとして、髪何本、何センチぶんが1円なのか?
 それで1年と少し続けて、ラジオや週刊誌のグラビアでも取り上げられ、話題になってきた頃、一度連載が終わってしまうんです」

ーー好調でも評判良くても、終わる時って、いきなり終わりますよね。

「それで『あー終わっちゃったな』と思ってたら、前の担当だった編集者、今の『散歩の達人』の編集長の山口昌彦さんという人なんですけど、『もう1回、谷口さん、やりましょう。アレ面白いから、ぜひやりましょう!』って。何かすごく気に入ってくれていたみたいで、編集長にかけあってくれて、また新たに始まったんです」

ーーすごい。

「それからは『定価のもの以外でもいいんじゃない?』という話で、色々考えましたねえ。当時、有料の公衆便所が出始めた頃で、『そこで1円ぶんだけおしっこするのは、どう?』とか」

ーー(笑)。

「そうやって頭の中で考えたことを、実際にやってみると、やっぱり人が絡むことだから、思いもよらないことが起きるんですね。その飛躍が、ものすごく面白かった。他の連載では筆が萎縮したこともありますけど、『一円大王』は、ものすごく筆がのびる感じで書けて、自分でも好きでした。『面白いなあ』って書いてました」











4 「身銭使わないと、ダメですねえ」




ーーライター時代は、どこに住んでいたんですか?

「大学を卒業して、神楽坂の住み込みの酒屋を出て、練馬、蒲田と移った後、谷中でアパートを借りていました。当時バブルで、駐車場の相場が3万円の時に、僕の部屋は2万6000円(笑)。すごいボロボロのアパートで、トイレ共同、6畳一間に台所。そういう所で暮らしていました。それから結婚することになって、目白へ。『一円大王』の頃は、もう目白でしたね。それから20年ずっと、今も東京に行く時のため、同じ部屋を借りています」

ーーライター時代、原稿料ってどんな感じでした?

「いやあ、だからそれがもう、対価…自分の書きたいものを、ものすごく一生懸命書いて、1000円とか(笑)」

ーーライターやってると、本当そういうこと多いですよねえ。時給1円以下(笑)。

「特にその仕事は、他の連載もののコラムとは違った、書きたい小説の原型みたいなものだったので、一生懸命書くんですよ。書くのが本当にうれしいもんだから。でも段々それに慣れてくると、もう少し原稿料が欲しいとか(笑)」

ーーそうそうそうそう(笑)。

「(笑)言うようになるんだけど、でも原稿を書いてお金がもらえるっていうのは、なかなか信じられない感じです。ヘンな感じですよね。やっぱり今みたいに、商売でこうやって体動かしてる方が、まっとうな気はしますね。さっき言った仕事は、書き上げたら、版権は向こうにあるとか言い出したり…そういうのでイヤになっちゃったこともありますね」

ーー実際に原稿を書いてお金をもらっていた当時と、今の谷口さんでは、原稿料に対する考えも変わって来てるんでしょうね。

「だって、ねえ? 原稿書いて、お金もらうなんて。やっぱり身銭≠カゃないですね。身銭って好きなんですけどね。やっぱり身銭使わないとダメですねえ。人の金で何かやっても、実入りも少ないですよね」

ーーああ…。

「なんて言ったら、いいんでしょうねえ? 実入りって言うのも変ですけど、自分のものに、なかなかならない気がしますね。原稿書いてて、やっぱり全然食えなかったですしね。お金がないし、大変だなあって思ってました。『一円大王』の年譜にも書いてますけど、年収100万くらいですよねえ。これじゃあ…どうすんのかな? 他人事のようですけど(笑)」

ーー(笑)。

「でも今、じゃあ焼酎屋でそんな儲かってるかって言うと、量が作れないんで、やっぱり大変ですね」

ーーそうなんですか? ライターとくらべると、お酒ってまだ実体があるから、虚業じゃない実業って感じはしますけど。

「でも水商売だから」


ーーやっぱりそうですか。

「で、水商売の割に、割り水する水増しの水がね、純粋な水じゃないといけないんですよ」

ーーはあ〜! 「本当にそうですよ」








5 「1円で世界が動き出す」



原稿料をもらうライター稼業から、身銭≠ナ仕事を回していく酒造会社へ。
谷口さんの焼酎の、行間のある味わいに僕は、「もの書きがつくる酒」という印象を持っている。
ものづくりにおける、谷口さんの職人気質は昔も今も変わっていないのだろう。
では、お金に対する価値観は、どうか?


「商売は面白いですよ。父親の仕事を僕が手伝い始めた頃、あまりにも焼酎が売れなかったので、父親が『あしたば漬けをやってみよう』って言ったんですね」

ーーあしたばは大島の名産ですよね。

「あしたばの葉を買ってきて、漬け物にして、御神火ブランドで売り出すと。行程のいろんなことは、父親の友人が教えてくれるから、お前が一緒にやれと。で、やったんですよね。その時、『あー、商売って面白いなあ!』って思いましたね」

ーー何が面白かったんですか?

「それは、つくるという行為が面白かったですね。もうひとつ、また話が違うんですけど、『お祭りがあるので、夜店を出してみないか?』と言われたんです。じゃあ、何をやったらいいかな?と考えて、フーセン釣りの店を出したんですけど、けっこうお金が儲かったんですよね」

ーーへえ。フーセン釣りで?

「夜店だから、真っ暗ですよね? もちろん照明はあるけど、暗い中にフーセンを並べておくと、暗闇からお金がやって来るんです。闇の中からゴーゴーゴーゴー流れてくる。100円とか200円の世界ですけど、子供も大人も皆、どんどんお金持ってきて、置いていくわけでしょう? 面白いなあって」

ーー無から有が生まれるような?

「そうそうそう。でも同時に、当時からお金はあんまり信用してないもんだから、『なんか不思議なもんだなあ…』と思ったんですよ。そのお金がまた使えるじゃないですか? 当たり前のことですけど(笑)。ヘンなもんだなあと思ってね」

ーー複雑というか、不思議な心境だったんでしょうね。大好きでもないはずのお金が、いざ目の前にジャンジャン来ると…(笑)。

「子供の頃から、家の手伝いで店に立ち、お金のやりとりをする経験は日常でした。店番とかさせられて、『いつもニコニコしてろ』とか教育されるわけですよ。レジに立って、人からお金をもらうというのは…やっぱり不思議な感じですよね。だって、お金どんどん…ねえ? 人がくれるんですよ? まあ、交換なんですけど(笑)」






ーー商売をやっている家に育つと、お金に対する独特の感覚が育つんでしょうね。

「『一円大王』では、1円を人にポンと渡すことで、いろんな世界が見えたんですよ。それが人間図鑑みたいな感じで、すごく面白かったんですよね。サラ金ならサラ金に行って、1円だけ借りるわけですよ」

ーー奥から怖い人が出てきて、押し問答の末、2時間がかりで借りたという。他にも床屋で1円ぶんだけカットを頼んだり、レストランで1円ぶんだけ食事しようとしたり…。

「『1円ぶんの何かをください』と言ったところで、何かが動き始める感じが、すごくしたんです。僕は自分がいる世界が、本当にあるのかどうか、時々わからなくなることがあるんです。こうやって話してても、高山さんが本当にいるのかどうか、僕にはわからないんですね」

ーー今も?

「今も。こうやって目の前にいても。だから…それはすごく怖いんですよ」

ーー怖いでしょうね、それは。

「でもその怖い世界で、1円を渡すことによって、何か世界がこう、またガッチンガッチンと動いて、いろんなことが起こる。そして、それを文章にするということが、ものすごく面白かったんですね。なんか自分で、少しづつ世の中がわかっていく感じがしたんです。

1円をポンと渡して、『これで何かください。領収書もつけて』と言うと、明らかに目の前の様子が変わるんです。いるかどうかわからなかった人が、反応する。本当にいろんな反応をする。そうして起こっていく出来事を、『へえ?!?』って感じで眺めて、その人たちの一挙一動を書くということが、僕には面白かったんです。 ……わかりますか?」

ーー1円を媒介に、世界と関わることができた、ということですよね? 谷口さんにとって、誰かに1円を差し出すという行為は、目の前の「よくわからない世界」を懐中電灯で照らすような…。

「そうそう。真っ暗闇を懐中電灯で照らしてみると、そこに人が浮かび上がってくる。そして、また消えていく。『一円大王』の取材をしていて、そういう感じはありました。あんまりこういう話はしたくないですけどね。やっぱりおかしいですよね?」

ーー僕はインタビューの仕事に、似た感覚を持ってますよ。取材相手を観察、描写していくうちに、その人に自分を見るというか。生まれも育ちも違う他人でも、必ず何か通じるところはある。僕は自分という人間が、まるでわからなかったのですが、インタビューの経験を重ねて、少し見えた気はします。







6 「今日は草刈りしなくちゃ」





ーー昔、東京でライター。今は大島で焼酎職人。そういうイメージで谷口さんの取材に来ました。でも話を聞いてるうちに、違う気がしてきました。今と昔が分けられない。ハッキリ、白黒つけられない。

「そうですねえ。だから最近面白いですよ。小説を、自分のホームページ上でずーっと書いてる話があるんですけど、すごく面白いですね。ようやく何か、書きたいものが書けるようになってきましたよ」

http://www.gojinka.co.jp/cp-bin/blog/


ーーへえ?!

「今ごろになってですけどね。これからが、だから楽しみですね。すごい楽しみです。だって登場人物が、本当に話してますからねえ。おれと関係なく。暗い話なんですけどねえ。でもすごい面白いです」

ーーこの12年間、谷口さんは酒造会社で生計を建ててきましたが、その間、酒造りだけに没頭して、小説のことは忘れてた時期って、ありましたか?

「いや、全然ないです。雑誌の仕事はしなくても、お金もらえなくても、今はネット上で書けますから。いい時代だなあって思いますね。毎日、何かで書いてますね」

ーー聞いてて、心強いです。

「まあでも、焼酎つくるしかないですけどね。それがダメになったら、また何か考えなきゃいけないし。ねえ? まあ、このくらいの規模で、ちっちゃいもんだから、無くなったところで。最初はみんな、『あら?』とか言うでしょうけど」

ーーははは…。

「ははははは! そんなもんじゃない?」

ーーうーん、まあ…そうかも(笑)。

「だから、いいんですよ(笑)! そうしたら原稿書いたりとかねえ、そういうこと、またできますし。別にそれも書かなくてもいいし」

ーーははははは!

「ははははは! なんか、けっこう忙しいんですよ、こうやってると。そこの草が伸びてきたから、今日は草刈りしなくちゃ、とかね。お金を稼ぐのとは別に、ここにいるだけで、いろんな仕事があるから。そんなこんなで、終わっていくんじゃないですかねえ」









(エピローグ)

前後編を通して、明るいとは言えない話が続いた。命を削るように、谷口さんは焼酎をつくっているし、今後の見通しも楽観していない。でもなぜだろう、谷口さんに悲愴感はない。写真の通り、陰がない。

耳に残ってるのは、「ははははは!」の高笑い。鳥たちのさえずり。寄せては返す潮騒。降り注ぐ、リズムとメロディ。

同じ話を、23区のどこかで聞いてたら、違う話になった気がします。









【 お店データ 】

「谷口酒造」 

〒100-00104 東京都大島大島町野増ワダ167番 

TEL・ 04992-2-1726 FAX ・ 04992-2-1753

ショールーム「ツバキ城」にて試飲可。要電話予約。工場見学は原則不可。公式サイトにてインターネット通販も。

WEB http://www.gojinka.co.jp/






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高山リョウ 

フリーライター。インタビュー取材を中心に、WEB、書籍企画の仕事に携わる。

『3秒おいて、慌てなさい』(著・テレンス・リー/笠倉出版社)『日本人の心を奮い立たせるサムライの言葉』(著・成嶋弘毅/PHP研究所)等。


「高山リョウのブログ」

http://blog.livedoor.jp/samwriter/







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