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死なせてたまるか!

〜ポジティブ・シンキング博士の自殺撲滅大作戦〜



 Vol.2 マナブ……新宿駅で誘われて

【登場人物】

マナブ……35歳童貞。引きこもり時々派遣社員。重度の自殺願望あり。

ポジティブ・シンキング博士……自殺学研究の第一人者。

ファンタスティックネガティブ星人……人類を自殺に導く宇宙人。

MIX畑中……謎の音楽プロデューサー


◇◇◇


九月一日、午後三時。

 マナブは新宿駅東口改札の前に突っ立っていた。

「みんなぁー、僕は無一文でーーーす!」

 大声で叫んでみたが、時々スーツ姿の連中が怪訝な顔で見つめてくるだけだ。

「誰かぁー! お金くださーい!」

 群集は何事もなかったように素通りしていく。

まるで透明人間の気分だとマナブは思った。

くそくそくそう! あのハゲジジイ、死ね!

 憤りで顔が熱くなってくる。




 ハゲジジイこと、シンキング博士にマナブが出会ったのは昨日のことだ。

 マナブは新宿駅のプラットホームで駆け抜ける電車を眺めていた。

 仕事もつまらない。女にもモテない。アーティストになりたいが何をやっていいのかわからない。漫画原作とライトノベルのコンクールに何度か応募したこともあるが、一次予選すら通らない。絵画教室の講師から自作のイラストを、「小学生のお絵描きですか?」と揶揄された苦い記憶もある。

 そんなこんなで死んでみようと思った。そこで電車を眺めてみたが、飛び込む勇気が起きない。
悶々としている時、シンキング博士に声をかけられた。

「ちみちみ、ちょっといいアルバイトがあるのでどうかね?」

小柄な老人だった。ビー玉のような瞳、ピカピカのハゲ頭。人を騙すような性分には見えなかった。

 後をついていくと、博士は駅構内の壁にある、小さな扉に手をかけた。高さは1mくらいで、かがめば何とか入れるくらいの大きさだった。

 潜り抜けると、いきなり目の前に花畑が広がった。地平線までカラフルな花のカーペットが続き、その端には澄み切った青空が広がっている。

「はあっ? なんスかぁーここー?」

「秘密基地だよ」

「はあっ?」

「そんなことより、アルバイトはするんだろ?」

「時給はいくらぁ?」

「0円から一億円だ」

「はああああっ!?」

 いぶかしげな顔を浮かべるマナブに、博士が説明した。

 どうやら、ファンタスティックネガティブ星人という宇宙人を倒せば一億円もらえるらしい。そんなもんいるかと聞き返したが、博士は真顔でいると語る。

 その宇宙人は、様々な技を使って人間に自殺願望を植え付けるらしい。おそろしく硬い肌を持っており、たとえナイフやピストル、核兵器を使ってもかすり傷すら与えることができないようだ。

 唯一の弱点が、言葉攻めである。どういうわけか、宇宙人はポジティブな性格を忌み嫌っている。だからできるだけ、地球や日本、人間の素晴らしさを伝えるような言葉をかければ、ヤツはくたばるだろうというのが博士の推測だった。

 早速マナブは新宿駅前に現れたその宇宙人に対決を挑んだ。

 粘液の付着した青緑の体から四肢が伸び、手足には水かきが付いている。髪はイソギンチャクのようだが、人間と同じく目鼻口耳、眉毛まである。

 不思議なことに、周囲の人間はその存在に気づかないようだった。

 マナブは精一杯ポジティブな言葉を投げた。あっさりと倒せるはずだった。 ところが相手の激しい言葉攻めにあい、あっという間に死にたくなってしまったのだ。




「お金くれないなら、歌っちゃうよぉー!」

マナブは大声で叫んだが、人々は反応を返さない。

寡黙な、都会の恐ろしさがマナブの肌に染みこんだ。

もう、後がないと思っていた。

先ほど、券売機や公衆電話、自動販売機の釣銭口―いわゆる街角貯金箱をくまなく探し回ったが、手にしたのはわずか30円だ。

その金を使って、勤務先の派遣会社に電話した。給与の前借りを申し出たのだ。ところが、マナブの上司はそんな社員はいらぬとあっさりクビを申し出た。マナブは解雇予告手当てとして一ヶ月分の給与の振込みを主張したが、どの道数日後に契約が切れる予定だったので、そんな金を払う必要はないとすっぱり断られてしまった。

マナブはブチ切れた。いっそのこと鬱病の診断書を持参し、会社のせいでビョーキになったと見舞金をふんだくろうかと思ったが、病院へ行く交通費すら持ちあわせていない。

この先どうすればよいか。

とりあえず、職業訓練校にでも通って、月10万円ほどの手当てをもらいながらのらりくらりと生活してみよう。雀の涙だが失業保険も出るはずだ。

だが、まずはこの無一文というピンチを切り抜けねばならない。

「歌うからなぁー、こらぁー!!」

マナブは大声で吼えたあと、お気に入りのアポロキャップを脱いで足元に置いた。

かつて、ミュージシャンに憧れていたこともあるのだ。

オーディションに応募したことはないが、もしかすると、自分には音楽の才能が眠っているかもしれない。

遠い昔の夢を思い起こしながら、マナブは心をこめて歌った。


「ノーマニー、ノーマニー、私は生きるぅ〜♪ モンナシー、モンナシー、私は歌う〜♪ あーーー、カミサマー、たのむーからー、おかねーくれー♪ あーーー、ミナサマー、うたうーからー、おかねーくれー♪ イエーーーッッ! 1・2・3・4! ギブミーマネー! ギブミーマネー! アイワナビーアーリッチメンリッチメン♪ ギブミーマネー! ギブミーマネー! アイワナビーアン、アーティストゥアーティストゥ♪」


 その時だった。

 濃紺の制服を着た駅員が駆け足で近づいてきた。

「大丈夫ですかぁー?」

「大丈夫ですよー」

 マナブは平然と切り返した。

「あの、すみませんけど、歌歌うなら別の場所でやっていただけますか?」

「別の場所ってどこですか?」

「カラオケボックスとかあるでしょ」

「どこにありますか?」

「駅前にいくらでもありますよ」

「じゃあお金ください」

「え?」

「僕、無一文なんです。さっきこのあたりで、財布と携帯電話をなくしたもんで」

「ああ、そうなんですか。それじゃぁ事務室に来てください」

 マナブは駅員のあとに従い、事務室に向かった。




「えーっと、財布と携帯ね、どんなやつかな?」

 事務室の窓口で駅員が訊いてきた。

「財布は茶色い皮のやつで、携帯はエーユーの白いのです」

「財布に現金は入っていましたか?」

「はい。30万くらい入ってました。もっと多かったかも」

「そうですか。じゃぁ、こちらにできるだけ詳しく書いてください。今探してみますから」

 駅員が遺失物届けの紙を差し出し、部屋の奥に消えた。

マナブは適当な名前と連絡先を書き、しばしの間待った。

「お待たせしました。財布だけありました。どれでしょう?」

 駅員が、3つの財布を見せてきた。いずれも茶色の皮製である。

 そのなかで、明らかに厚みのあるサイフが目についた。

「あ! これです! これ!」

 マナブはプラダの財布を手に取った。

なかを見て驚いた。一万円札がたんまりと詰っている。ざっと100万円くらいはあるだろう。

「身分証はありますか?」駅員が尋ねてきた。

「いえ、それも失くしました」

「じゃぁ、再発行してからまた来てください」

「あ、やっぱり家にあるかもしれません。けど、取りに帰るお金もありません」

「じゃあ、ご家族の方に連絡されたらどうですか? こちらの番号でよろしいですね?」

 駅員が遺失物届けを指差した。

「あのぉ……僕は孤児で、家族はいないんですけど……」

 マナブが答えると、駅員がいぶかしげな眼差しをした。

「困りますねぇ。それじゃぁ財布はお渡しできませんね」

「はぁ? どうしてダメなの? これは僕のモノです。君は親のいない子供をバカにするつもりかね!?」

 駅員が深々と溜息をつき、尖った声で言葉を返した。

「そんなつもりはありませんよ。ともかく本人確認ができない限り、財布はお渡しできません」

「はぁ? 僕がうそつきとでも言いたいのぉ?」

「とにかく、これは預かっておきますよ」

駅員が素早く財布を奪い取った。続けてなかを開き、一枚のカードを取り出した。

「んん?」彼は鋭い眼差しでマナブを睨んだ。「こりゃいかん、あんたウソついてたねぇ。身分証に映ってる顔と全然違うよ」

「あ、やっぱり間違いました」

 何食わぬ顔でマナブは答えた。

「どういう意味だね?」

「それはあ……」 

「ちょっと、しばらく話を聞かせてくれないかな?」

 駅員が睨みを利かせてきた。

 次の瞬間、マナブのなかで自殺願望センサーが発動した。

「うわあああああああああ! 死にたくなってきたあ! 誰か助けてくれえ!!!!」

大声で叫んでいた。

「大丈夫かい?」

「大丈夫じゃないよぉ! キサマぁ! 国家権力を使って僕をハメるつもりだなぁ!」

「は?」

「うわああああああああああああああ! 死にたくなってきたあ! 財布も携帯も、この新宿駅の仕業でなくしたのに泥棒扱いすんのかあ! 僕を誰だと思っているんだ!?」

「誰ですか?」

「うわああああああ! 死にそうだああ!! 僕は無実だああ!!!!」

 駅員が大きく溜息をついた時だ。

 マナブの後ろから、ド派手なピンクスーツに身を包んだ男が現れた。





「やあ、やーやーやー」

 男が、マナブの肩を叩いた。

振り返ったマナブは息を呑んだ。ブルドッグによく似た顔立ちの冴えない男だが、シルクのネクタイをしめ、ダイヤのブローチとキンキラの指輪をつけている。全身からカネの臭いがプンプンする男だ。

「やあどうも、音楽プロデューサーのMIX畑中だ」

「誰だい?」

「知らなくても無理はないね」MIX畑中は苦笑いを浮かべた。

「私はギョーカイ人にしか知名度は高くないようだ。私はね、数多くの大物ミュージシャンの楽曲を手がける音楽プロデューサーなんだよ。苗字に『ムロ』ってつくアーティストは全て私が手がけているかな。他にもいろいろ……例を挙げたら切がない。表向きは別のプロデューサーがついていても、裏では全部私が操っているんだよ。批評家の間では、音楽業界のロス・チャイルドとも呼ばれている」

「僕になんの用ですか?」

 MIX畑中はニヤリと口元を緩めて言った。

「先ほど、君の歌を聞かせてもらったよ。あれは君のオリジナルかな?」

「はい。即興です」

「素晴らしい才能だ」

MIX畑中がパチリと指を鳴らした。

「現代に生きる若者の孤独を短い言葉で言い表した叙情詩だ。ノーマニー、ノーマニー、モンナシー、モンナシーといったリフレインも素晴らしかったよ。君の研ぎすまされた作詞能力には目を見張るものがある。声はまだ荒削りだが、鍛え上げれば十分ワールドワイドに活躍できるレベルだろう」

「ほんとですかあ!」

「ああ、君は100年に一人の逸材、ダイヤの原石のようなものだ」

 マナブは沸き起こる興奮を抑えながら尋ねた。

「CDデビューできますか?」

「もちろんだよ」

MIX畑中が大きく頷く。

二人のやり取りを、駅員は静かに見つめていた。

このままずっとこの寸劇を眺めていたい気持ちもあったが、面倒なものには巻き込まれたくない。「あのぉー、財布の件はいいんですかね?」とそのデブに尋ねてみると、「はあ? なんのことお?」と肩をすくめられてしまった。

目の前のデブは数秒前の出来事がまるで存在しなかったかのように、ピンクな男に金魚の糞のようにくっついていく。

世の中には、まだまだ救いようのないアホがいるものだ。

駅員は大きく吐息をつき、「0990」で始まる怪しげな電話番号の書かれた遺失物届けを破棄した。





「飯でも食うかい?」

 新宿駅前でMIX畑中が尋ねてきた。マナブは無一文であることを告げたが、大物音楽プロデューサーは金の心配は不要だと語る。マナブは礼を言って後に続いた。

 駅前にはスタジオアルタのビルが見える。

 言わずもがな、『笑っていいとも』でおなじみのファッションビルだ。

 マナブは歩きながら、あのサングラスの大物司会者と対面できる日も近いだろうと思っていた。

もし、CDが売れても、『いいとも』と『トップランナー』と『徹子の部屋』と『情熱大陸』以外の番組には、出演したくないというのがマナブの本心だった。バラエティ番組で体系や顔のことをネタにされるのは真っ平ごめんだ。

そもそも、アーティストはメディアにあまり露出すべきではないとマナブは考える。本職はもちろん創作活動であるし、メディアの力を借りずとも、作品がよければクチコミで人気は広まるだろう。

昨今、様々な番組でおかしな喋り方をする自称文化人が多いことに、マナブは憤りを覚えていた。くだらないキャラ作りもいい加減にしろ。

「何か、食べたいものはあるかね? なんでもいいよ」

MIX畑中が尋ねてきた。

 マナブは少し考え、おもむろに口を開いた。

「銀座へ行きましょう。寿司の久兵衛か料亭吉兆がいいですねー」

「うーん……」MIX畑中が唸った。「今は15時過ぎだから、準備中だと思うがね」

「あはは! そうですよねー。なら、どこでもいいです」

「トンカツなんかどうかね?」

「あ、大好きです!」

 マナブは彼に引き続き、やがて畑中氏オススメのトンカツ屋に入った。表向きは間口の狭い小さな雑居ビルだが、本当の名店とはこういう隠れ家的な場所にあるもの。 

 実際、店内にあるお品書きに値段の表示はなく、確認するとトンカツ定食で5000円もするという。

 二人は隅にあるテーブル席に付き、グラスビールで乾杯した。

 畑中氏はおしぼりでゴシゴシと顔を拭いながら尋ねた。

「君は今、何をやっているのかね?」





「え?」

「仕事のことだよ」

「僕はぁ……フリーです」

「フリーというのは、つまりは、プー太郎ということかね?」

「いいえぃ」マナブは大きくかぶりを振った。「自由業、つまりはアーティストという意味ですよ」

「ほほぉー。どんなアートをやっているのだね?」

「小説や漫画原作、アニメフィギュアやHPの作成など幅広くやっています。あ、もちろん楽曲作成も」

本当はコンクールに数回応募しただけだ。フィギュアも作ったことがない。随分前にガンプラを何回か組み立てただけだ。だが、はったりこそがフリーランスに重要なものだとマナブは信じていた。

「ほほぉー、つまりはマルチなアーティストだね?」

「はい、そのとおりです」

「素晴らしい!」

畑中氏がパチリと指を鳴らした。

「さすが、私が見込んだ男だけのことはあるな。しかしね。メジャーデビューのための楽曲制作となれば、作詞作曲はもとより、ヴォイストレーニングやレコーディングなど、かなりの時間を要するものなのだよ。君の仕事の合間を縫ってのことになるが、大丈夫かね?」

「もちろんですよ」マナブは大きく頷いた。「こういう出会いもなかなかないですからね。他の仕事を蹴ってでも、音楽活動には全力で取り組みたいと思います」

「買ったぞ、その意気込み」

畑中氏は満足げに頷き、ビールを飲んだ。

ほどなくして、注文したトンカツ定食が運ばれてきた。

ハラペコのマナブはもしゃもしゃと肉にがっついた。さすがは業界人行きつけの店である。たんまりと油の乗った肉はとろけるほどにジューシーだ。

「いい食いっぷりだね。いかにもうまそうな食べ方だ」

畑中氏が嬉しそうに言った。

「ありがとうございます」

「オデブタレントとしての道もあるな」

「はあ?」マナブは素っ頓狂な声をあげた。

「いやいや、本業のアーティストの他にオデブタレントの道もあるということだよ。メディアに露出すれば、自分の楽曲の売り込みもできるだろう」

「お断りします」

マナブは毅然とした口調で告げた。

「どうしてだね?」

 畑中氏が目をパチクリさせる。

 マナブは吐息をつきながら口を開いた。

「畑中さん、アートとはなんでしょうか?」

「なんだい急に? アートとは……芸術のことだよ」

「ですよねえ? 先ほど僕の歌を絶賛しておきながら、その言い方はないんじゃないでしょうか? 僕は作詞と作曲能力には絶大な自信があります。だからそんなアホみたいなタレントのマネごとをして、マナブブランドの価値を落としたくないんです」

 救いようのないアホだと畑中氏は思った。

 だが、本音を言ってしまえば、このあとの計画は全て水の泡と化すだろう。

「なるほどね……さすがは、私が見込んだ男だ」

「ありがとうございます!」

 マナブはまた黙々とトンカツにがっつき、あっという間に飯を平らげた。

 続けて、マヨネーズびたびたのキャベツをブルドーザーのように食し終えると、
「すみませーん!」
突然大声で叫んだ。

 すぐに女給が駆け寄ってくる。

「ライスとキャベツのおかわりお願いします」

「別料金になりますが、よろしいですか?」

「はあっ? なんで別料金なのーーー? 無料が常識でしょ?」

「すみません……当店ではそのようなサービスは行っていません」

「どうしてくれるんですか!」

マナブは食器を指差した。

トンカツの衣とみそ汁が、ほんの少しだけ残されてある。

「僕はキャベツとこの残ったおかずで、あと2杯はご飯を食べようと思っていたのに」

 女給の顔に困惑の色が浮かぶ。

 見かねた畑中氏は、

「いやいや、別料金でかまわんよ。肉の方もおかわりするかね?」と言った。

「はい! お願いします!」

マナブが子供のように目を輝かせる。

「かしこまりました」

 女給がマナブの食器を回収して去っていく。

そのタイミングで、畑中氏は口を開いた。

「君は……とんかつ定食のキャベツとご飯は、どの店でもおかわり自由だと思っているのかね?」

「もちろんですよ。それが基本です。関東ルールなんです」

畑中氏はこの男の思い込みの強さに驚愕した。





二皿目のとんかつセットが運ばれてくると、マナブはまたあっという間にたいらげた。

まだ、物干しそうな目をしていたので畑中氏が勧めると、「いやいや、これ以上食べると太っちゃいますよぉー」と平然と言ってのける。新宿駅では「死にたい」とかわめいていたが、この男はメシさえあればポジティブになるらしい。畑中氏は口のなかで笑いを噛み殺した。

食後に温かいお茶をすすりながら、畑中氏は切り出した。

「ところで君は、音楽プロデューサーの仕事に興味はあるかね?」

「もちろんですよー!」

口に爪楊枝を咥えたマナブが身を乗り出して答える。

「なら、今回の君のアルバムは、私と君の共同プロデュースでやってみるかね?」

「いいんですかあ?」

「もちろんだ。君は驚くべき才能を持っている。まだ経験不足だろうが、編曲作業もすぐに上達するだろう」

「ありがとうございます。プロデュースって、曲のアレンジとかですよね?」

「そういう仕事もあるな」

「だったら僕もやってみたいです。他にもジャケットのデザインとか、ミュージックビデオのディレクション、とにかくクリエイティブな仕事は全部僕にやらせてください。まだ経験不足ですが、至らない部分は畑中さん、是非フォローをお願いします」

「もちろん。こちらこそよろしく頼むよ」

「ありがとうございます」

 畑中氏はしみじみとお茶を啜った。

そして、一息ついて本題を切り出した。

「共同プロデュースに当たって、ひとつだけ君にお願いしたいことがある」

「なんでしょうか?」

「その前に、印税の説明をしとかんとな」

「うほぉー、一番知りたい話題ですねぇ」

 マナブの目が輝いた。

畑中氏が笑みを浮かべて頷く。

「私が社長を務める会社の場合、給料は全て歩合制だ。CD一枚につき、アーティストには10%、プロデューサーには20%。つまり、一枚1000円のマキシシングルなら300円が君の手元に入ることになる」

「そんなに少ないんですかー」マナブは口を尖らせた。

「これでもギョーカイ内では破格の歩合だよ。通常、新人アーティストへの印税の相場は1%だ。自分で作詞作曲した大物アーティストでも10%程度だろう。そういうわけで、30%は魅力的な条件だとは思わないかね?」

「なるほどですねー、よくわかりました」

「しかも、通常歌手がデビューした場合、よほどの大物でもない限り、レコード会社は新人に宣伝代を捻出させるのが常だ。最低限のプロモーション費用は会社側が出すだろうが、たとえば、深夜番組のエンディングテーマソング、ゴールデン番組への出演権、すべてアーティスト側が金で買い取っているんだよ」

「ほんとですか?」

「ああ。だから歌が大してうまくなくても、歌詞がどんなに最悪なものでも、金持ちのドラ息子やドラ娘が売れることは十分ありうるわけだ」

「それは納得いかないですねー。そんなのアーティストじゃないです。アーティストは実力で勝負すべきです」
「素晴らしい! 私もまったくの同意見だよ」

 畑中氏が握手を求めた。マナブはその手を力強く握り返す。

「今回、私は君のプロモーションには持てる限りのコネクションを利用し、力を入れたいと考えている。幸いにも私はキー局の音楽番組のプロデューサーとは全て親しい関係だ。なので大物新人歌手となれば、彼らも喜んで協力してくれるだろう。もちろん君が宣伝費用を出す必要もない。なんといっても、君は100年に一人の逸材、ダイヤの原石だと私は考えているからね」

「ありがとうございます!」

「こちらこそ。そこで一点だけお願いしたいことがある」

「なんでしょうか?」

「もし、君がデビュー前に何らかの事故や病気で仕事ができないとなると、私は多大な損失を被ることになる。出演予定のテレビ番組や、予約したスタジオのキャンセル代なんかでね」

「ああ、それは当然ですねー。確かに、僕はダイヤの原石ですから、それだけ損失も大きいはずです」

 畑中氏の目がダイヤのようにきらりと光った。

「その通りだ。そこであらゆる事故にそなえるよう、保証金として100万円を払っていただきたい」

「はあっ?」

「言っただろ、保証金だよ。もちろん、無事CDデビューでき、何事もなかった場合は必ず返還するものだ」
「けど……僕は無一文ですし……」

「ご両親はどうかね? 君の創作活動には協力的かね?」

「協力的ですけど……」

「だったら是非お願いしたい。一括が無理なら分割でもいい。差し当たって、20万円ほどの振込みをお願いしたいところだ」

 畑中氏は携帯電話を取り出し、マナブに預けてきた。

 マナブは熟考する。

共同プロデュース―よくよく考えてみれば、その言葉には胡散臭い匂いが感じられた。






苦い記憶が蘇ってくる。

以前詩集の出版を目論んだマナブは、およそ30の出版社に企画書と作品サンプルを送ってみた。10社から返事が届いたが、どれもつれないものだった。

あきらめかけた頃、Sという出版社から「君には素晴らしい才能がある!」とマナブの詩を絶賛する手紙が届いた。

S社は「共同出版」というものを勧めてきた。共同出版―出版社と著者側で本の製作費を折半するというシステムだ。

マナブはその作品に自信があったので、出版を依頼した。わずか1000部の刊行に、200万円もかかった。もちろんママのお金を使った。だが、実際に売れたのはわずか8冊のみだ。あっという間に書店から消え去り、断裁処分されてしまった。

あとで知ったが、S社はどんなクソミソな原稿でも絶賛しているらしい。たとえ本が一冊も売れなくとも、著者から回収したお金で利益を出すことができるからだ。ごく稀に共同出版でブレイクする本もあるため、出版社側はそれを前面に押し出し、更なるカモを探し続ける。

全くもって極悪な商売だ。人の夢を食い物にする、悪徳商法。マナブに言わせればそれはブサイクな女をちやほやするホストと何ら変わりない。いや、ホストクラブはまだ擬似恋愛というイメージが定着しているが、共同出版のからくりはそれよりずっと知名度の低いものなのでやっかいだとも言える。

じっと黙りこんでいると、

「どうしたのかね?」

 畑中氏が柔和な笑みで見つめてきた。

ここで、この話を拒否してしまえば全てが水の泡と化すだろう。

本当か、ウソか、実際のところよくわからなかった。

だが、マナブにはそろそろ神様が自分の味方をしてくれてもいいのではないかという思いがあった。

つい昨日まで自殺しようと思っていた男なのだ。そんな人間を、わざわざ神様が苦しめるはずはないだろう。
マナブは携帯電話を付き返し、ゆっくりと口を開いた。

「家に、お金取りに行っていいですか? 近所なので一時間もあれば戻ってこれます」

「かまわんよ」畑中氏が頷いた。





 自宅のアパートに着くと、マナブは早速畳を引き剥がしにかかった。実はこの下に、取っておきのお宝が眠っているのだ。

本当は手を出したくなかったが、こういう時でもない限り使うことはないのかもしれない。マナブは地下の暗がりから、備前焼きの壷を取り出した。

直径30cmほどもある茶色の壷で、価格は40万円もした。以前、オークション用の転売品として私財をなげうって購入したが、思ったより値段が上がらず、時期を待つため寝かせていたのだ。

濡れ雑巾で磨いたあと、紙袋を探したが残念ながらいずれも大きさが足りなかった。

仕方なく、むき出しのまま壷を胸に抱きかかえ、そろそろと表通りを歩いた。

新宿通り沿いの質屋へ向かう途中であった。

前方に、キャミソールの女が佇んでいた。推定Gカップの爆乳ちゃんである。手に地図を抱え、あちこちキョロキョロ見回している。

マナブはひどくゆっくりとしたペースでその女の横を通り過ぎた。

「あのぉー、すみません」

うまい具合に女が声をかけてきた。

「はい、なんざんしょ?」

マナブは歩を止め、威勢良く答える。

「新宿秘宝館はどちらでしょうか?」

「ひ、ひほうかん?」

「はい、ここに行きたいんですけど……」

 女が地図を指し示した。

 マナブは女の豊かな胸とその地図を交互に見据えた。目的地は、ラブホテル街近くにある、いかがわしいアミューズメントスポットのようだ。こんな美女が一人で、一体なんの用事で行くのだろう。

「あ、えーっとですね……この先にある中央通りをまっすぐ行って、三本目の角を左折してください」
 女が首をかしげる。

「すみません、私方向音痴なんで、どっちですか?」

「あっちです」

 マナブは右手で進路を指し示した。

 その時だった。

 抱えていた壷が、するりと左手から漏れた。

 あ!

 慌てて両手を突き出した。指先が壷の表面に微かに触れ、それは空中で奇妙なダンスを踊った。次の瞬間、ジャリン! 大げさな音を立てて壷が割れた。

「まなみー、おまたせー!」

 ソフトクリームを抱えたリーゼントの若者が、どこからともなく現れた。割れた壷を見つめ、びっくりした表情を浮かべている。

ありがとうございました。そのセクシー美女は一礼し、あっという間にマナブの前から消えてしまった。ツッパリボーイフレンドの腕に、己の腕を絡めながら。

「うわあああああああああああああああ!」

 マナブは発狂した。

現在、マナブの貯金残高は1581円である。このままではまるで生活費が足りないので、その壷は近々売りに出そうと考えていた。つまりその壷は、マナブの最後の切り札であった。

マナブは溜息をつきながら割れた破片を拾い集め、コンビニ袋に詰めた。そしてとりあえず質屋に持っていったのだが、「ゴミですか?」と店員に嫌味を言われてしまった。

 呆然としたまま、マナブは都会の景色を見つめた。

ゴミ捨て場にいる、薄汚いカラスに目が入った。

青いネットのわずかな隙間に嘴を突っ込み、食べ残された弁当箱を引っ張り出している。一羽、二羽とカラスの群れは数を増していき、整然と並んでいたゴミ袋はあっという間に引き裂かれ、その中身があたりに散らばった。
世の中とは、なんと不条理なことか……。

マナブが3年かけて溜めた金で買った高価な壷も、このゴミ袋のように、瞬く間に粉々になってしまったのだ。

たった一日で、二度も無一文を味わうとは……。

マナブのなかで、シンキング博士への怒りは増していった。







(つづく…)




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