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Vol.7 『 破れ鍋に綴じ蓋 』





9月初旬に短い夏が終わり、もう、紅葉し葉もどんどん落ち始めているドイツ。

早いもので、渡独して一年になる。
ここで色んな人に出会って、ドイツの生活をしてここの事情がわかると、
しみじみと「よく、1年前の私、後のこと考えもなしに渡独したなぁ。」と思う。
そしてまた、この寒さが、孤独感を助長させる。
生活の基盤ができている今ですら、そんな風に感じるのだから、
あの時の私は、もっとそうだったのかもしれない。


ただ、自分を信頼していた。それだけだった。


そして、ありついた部屋のため、その、ありついた仕事も真面目にがんばった。
「仕事を真面目にがんばっているのだから、これで、生活も安泰になる!」と思った。


だがしかし、不動産屋の確認ミスで安泰しかけた私の今後の生活設計が、もろくも崩れた。


私は、真面目に生きたからって辛いことも起きる時は起きるし、約束された未来なんて私の妄想だけだと思った。
未来に期待するのはよそうと思った。


そして、あるドイツ人の男と出逢い、同居生活が始まった。
2人とも、お互いの国の言葉を教えてもらえるし、嫌だったら出て行けばいいし、追い出せばいいやと 気軽に始めたこの生活。

どうせ、ビザ1年で切れるし、気を使うのも嫌だし、嫌われてもいいやと、さらけ出してコミュニケーションをとった。 喧嘩もしたし、ダメ人間っぷりも包み隠さずそのまんまで暮らした。

だから、お互い恋したかどうかもわからない、
「ゆきえは、仲のいい友達みたい。」と彼が言うように、友達の感覚に近いと思う。


だけど、私のビザの期限近づき、2人のとった選択は、、、


「結婚すること」

でした。




その選択をする過程になんのロマンチックさも、大過もなかった。
また、いつものように気軽にことを進めてみた。
相手も縁ある人なので、結婚に熱い憧れも思いもなく、でも、お互いの人生のために結婚した方がいいなってことでしてみました。
国際結婚なので、書類、ビザなどの手続きが大変なのですが。


あぁ、大変だった。
まず、ドイツの戸籍課に何が必要か問合せる。電話じゃなくて、出向かなくてはならない。
そして指定された書類を日本から取り寄せるのだけど、その書類が本当に日本の公式な書類という証明を 国からもらわなければならない。
その後、指定された翻訳家に翻訳してもらって、またその翻訳が正しいかを また領事館で証明してもらうとか・・・・
それを日本にいる母に託しました。

そして、数週間が経った時、依頼してた翻訳家さんから連絡をもらいました。
「届いた書類、お相手の姓のところが“ダニエル”となっているのですが、本当ですか?」と。

母、まちがっとるがな!!!

ローマ字、カタカナだからね。あぁ、そうね、間違うよね。
いやいや、そこ気づこうよ。

そんなこともありながら、無事にドイツに書類が届き、戸籍課のほうに出向いたら、 「ドイツ語話せない?なら、指定の通訳雇ってから提出に来て。因みにここ、火曜と木曜だけだから。」と言われ、

次は指定の通訳の見積もりや予定と、私たちの都合と戸籍課の都合をすり合わせ、 無事に提出できたら、めでたく夫婦というわけでなく、書類の審査後、通訳付で戸籍課で誓約式という流れを経て ドイツ国内で晴れて夫婦になれるわけでした。


その誓約式10分、15分で終わるもので、通訳さんに聞いたら、 服装は、ドレスを着る人もいれば普通の格好でしてる人もいるってことで、 ダニエルも「Tシャツでいく。」と言っていたので、そんなもんかと何も考えずに余裕をぶっこいた。


そして、誓約式1週間前になり、なんとなく「何着ていくの?」と尋ねると 「私はスーツかなー。」と、言いやがる。

おい!話が違うじゃないか! と焦る私。

しかし、フォーマルにも着ていける黒いワンピースを日本から持ってきていたのを思い出し、 「それでいいじゃん。それ好き。」とも言われたので、 よし、これで準備はいいかと思って当日の朝を迎える。

「あ・・・・、アクセサリーも持って来てない。ストッキングも黒しかない、コートも靴も黒しかない。」 そして、彼も黒いスーツに黒いネクタイしてる。

しかも、YouTube見ながらネクタイしてるし。ちょっとそれ、変なとこにシワあるし、ヘタクソだし。 と、奮闘しながらも形になった。

そう、まるで葬式に行くかのような2人が出来上がりました。

そして、私たち2人と通訳さんと戸籍課の3人の密葬・・・ いや、婚姻の誓約式を終えて、ドイツでタンデムから公に夫婦になりました。

生活も変わらず、あんまり結婚して夫婦というものになった実感は今のところ希薄です だけど、みんなが「おめでとう。」と言ってくれるので、そういうことなんだなと思っています。


そういうことです。


あぁ、無常。








オクトーバーフェストのお店







つづく



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ラ・由紀絵ここにいます^^






ラ・由紀絵

1982年4月17日、ムツゴロウさんと同じ誕生日に三女として福岡県に生まれる。

幼少期は、山と川で植物と生き物観察と、お絵描きをして静かに遊ぶ。

小学5年の冬に甥っ子が生まれ、友達との遊ぶ約束よりも甥っ子との時間を優先させるほど、愛情を注ぐ。

初めて、幼い子どもと過ごす喜びを覚える。

高校は、NHKの朝の連続ドラマにはまってしまい、遅刻ばかり。眠くてサボってばかりという公私共々ダラけた日々を過ごす。

進路で幼児保育の学校に進むか迷ったが、ピアノを弾きたくないし、勉強をしたくないというこれまたやる気のない理由でニート志望を家族に伝える。

あまりの人生にやる気のない私を見兼ねて母が語学の専門学校に半ば強制的に受験させる。

受かってしまい専門学校のある東京に。すぐに実家に帰ろうと思っていたが、新宿駅をみて「警察24時が現実にある!」とミーハー心に火がつき、卒業後も、東京で就職することに。OL生活が始まる。

OL生活3年目、仕事にも慣れてきて飽き始めた頃に、歩いていたら、 「私、いい幼稚園の先生になれる!」と根拠もない確信がふってわいて、資格を取ることをを考える。

「絶対、キツイから続かないよ。」という声を無視して、お昼OL、夜、専門学生という二足わらじをはきながら3年間過ごす。おかげで、世間に生まれて初めて頑張り屋と思われるようになる。

2009年晴れて、保育士に。大人ではない子ども主体の保育とは何か、一人ひとりの個性や成長をどう見守れるかを考えながら充実した日々とやり甲斐を感じる。

2011年、とある出来事をきっかけに「東京でやることは終わった。」と強く感じる。確信はしてるが、仕事は好きだしお金もな…と迷うが「ハートの声に従うロックンロールな生き方をしよう。」と決心。

2011年4月長年の夢のニートに。

6月末日、ドイツに行きたくなる。

7月上旬、10月にドイツで保育研修会があるという情報を得て、お金も語学力もないのに行くことを決める。


そして、現在に至る。






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