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2005/11/16 START

金子洋一<フリースタイルライフ編集)
 45歳 妻ひとり子供3人
レース観戦歴 32年
フォトノスタルジア代表
http://www.fotonoss.com

 
>>BACK NUMBER
イントロダクション 「幸せってなんだ・・・」

第1回「会社勤めしたこと・・・ありません」
 

はじめにお断りしておくと、俺は大学を卒業してから
二十数年、ずっと自営業だった。
ようするに「お店屋さん」だ。
だから、会社勤めの大変さは俺にはわからない。
そのかわり、商売に関しては多少経験を積んできた
つもりだ。
と言っても、とにかく楽観的で、いつも前を向いて
突っ走っていたい性格なので、いろんな失敗もしてきた。
そんな失敗談の数々を、そしてそれにもめげずいまだに
明日を夢見ている中年男の生き様を、見ていただこう。

よく、「いつかは自分の店を持ちたい」なんて話を
聞くので、最初は自分がまず店を始めた経緯から
書いてみようかな。

俺が生まれたのは、千葉県の津田沼という所。
そこでおやじは八百屋をやっていた。
今でこそ私鉄からの乗換駅として賑わっている所だけど、
俺が小さい頃は、駅前に小さなロータリーがあるだけの
どこにでもありそうな町だった。
そこの商店街のはずれに、うちの八百屋はあった。

当時はまだ、肉屋、魚屋、八百屋などそれぞれが
独立した店で、奥さんたちは買い物篭をぶら下げながら
その日のお値打ち品を探していたわけだ。

同じ商店街の中に、八百屋は3件もあったけど、
それぞれなんとか商売にはなっていたようだ。

とにかくうちの両親は、朝から晩まで働いていた。
だからその頃の俺の遊び場は、店の中だったり、配達の
車の助手席だったり。
ひたすらお客さんに頭を下げ続ける親を見てきたわけだ。

そんな苦労をさせたくなかったのだろう。
学校を出て就職しろと、いつも親は言い続けていた。

そんな親のおかげで、高校、大学まで出させてもらって、
さて就職だ。

音楽、特にロックが好きで、でも楽器が得意じゃなかった俺は、
華やかなライブのステージに触れる度に、こんなショーを
仕切るような仕事につきたい、と思うようになっていた。
でも、どうやったらそんな仕事が出来るんだ?
具体的な方法もわからなかった俺は、とにかくそっち方面に
いくための近道として、テレビ局やレコード会社のバイトを
ひたすら探した。

最初に見つけたバイトが、テレビの小道具係り。
配属されたスタジオに連れて行かれたら、いきなり水道の栓を
握らされた。

「いいか、合図したら、これを捻るんだ。遅れんなよ!」

張りぼてのベニヤ板の裏で、水道の栓を握り締める俺。

「よしっ、開けろ!!」

脇に立った先輩の合図に、ゆっくりと栓を捻る。

「もっと開けろ!! 早く早く!!」

ザアーッ・・・

煌煌と照らされたライトの中、俺の降らせた雨が
ニセモノの地べたを濡らしていた・・・

テレビ局の隅っこで働きながら、今度は音楽関係の仕事が
出来ないかと、またアルバイトニュースを眺る毎日。
そんな時、たまたま受けた「プロデューサー養成セミナー」
という、テレビや音楽業界の最前線で活躍する人達の話が
聞けるという講座で、講師として来ていたのが、当時自分が
好きなミュージシャンの所属する事務所の専務だった。

「よかったら、電話してよ。これも何かの縁だからさ。」

名刺と共にもらった言葉に有頂天になった俺は、さっそく
次の日緊張しながらもダイヤルを回した。

「あぁ、専務は外出してます。何時に戻るかわかりませんね。」

この日から何度も聞くことになるこの言葉。
名乗る肩書きもない俺に、電話の声は冷たかった。

こんな事であきらめてたまるかよ!
それから1ヶ月、毎日電話をかけ続けてようやくアポがとれた。

「この子根性あるよ、毎日電話してきたんだからさ。
 話聞いてやってよ。」

そう言って部下のマネージャーに俺を託して、専務は部屋を
出て行った。

「バンドのローディーなら空いてるよ。」

・・・なんか違うんだよな。
俺がやりたいのは、そういう事じゃないんだ。
ショーを仕切りたいんだよ。
やっぱり小さい音楽事務所じゃだめか・・・

結局その事務所を二度と訪ねる事は無かった。

(20年後、その専務が社長となって率いるそこは、
業界屈指の音楽事務所となるのであった・・・)

大学も3年になると、今まで一緒に遊んでいた友たちも
急に変わり出した。

「お前はいいよ。だってうちが商売してるんだろ?
 いざとなったら、そこで働けばいいじゃん。」

髪の毛をバッサリ切って、紺のスーツに見を包んだ彼らから
逃れるように、ますます俺はバイトにのめり込んでいった。
ちょうどその頃始めたのが、大手レコード会社でのバイトだった。

当時デビューしたての新人を売るために、俺たち10人の
学生が毎晩有線放送局をまわって、デビュー曲をかけて
もらうのだ。
夜の酒場に似合うその女性がかった歌声は、じわじわと
リクエストを集め、やがてヒット曲としてテレビでも
歌われるようになった。
そのおかげで、当初3ヶ月の予定だったバイトも、
結局終わってみれば1年間。
気がつけばまわりの友達は、みんな就職先を決めていた。

1年もバイトしてると、なんだかんだ内側の部分も
見えてくるもんだ。
表面は華やかでも、実際には過酷な競争社会。
それまでプロデューサーという肩書きだった人が、
ある日突然地方の営業所に飛ばされたりする。
結局売ってる物が音楽、当時はレコードという物で
あるだけで、何ら他の卸売り業と変わらなかったのだ。

そんな幻想から目覚めたとたん、俺の音楽業界への夢は
一気に萎んでいった。







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