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MIZK まず、お二人が出会った経緯を教えてもらえますか。
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大越 昨年12月、私淑する内田樹先生(神戸女学院大学教授)のブログに、ミシマ社の最初の本『本当は知らなかった日本のこと』(鳥越俊太郎・しりあがり寿著)発刊のお知らせが出ていたんです。
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『本当は知らなかった日本のこと』
鳥越俊太郎・しりあがり寿/著
たとえば、「2007年問題と安保?」「ロハスと田中角栄?」「治安悪化とプラザ合意?」
「少子高齢社会と大阪万博?」…みんな、つながっている!
1940年生まれの鳥越氏が語り、1958年生まれのしりあがり氏が描く、「これまでの日本」と「これからの日本」。
高校での履修不足問題が判明するなど、「戦後」は現代人の必須課題。
素朴な語り口と傑作漫画で贈る、必読の教科書。 |
「単身ミシマ社を立ち上げて日本出版界の陋習と戦うM島くんの最初の本。みんなで買って、個人出版社の経営を支援しましょう」と書いてありました。僕もしばらく前からぼんやりと、「出版社を作れたらいいな」と考えていたので、そのときにミシマ社の存在を知り、非常に感銘を受けたんです。
「自分と同世代の人が同じようなことを同時期に考えていて、リスクをとって行動に移した」ことに素直に「すごいな」と思いました。「これは絶対に会わねばならない」と感じて、すぐに三島さんにアポイントをとりました。お会いしていろいろ話していく中で、すごく本に対しての考え方が共通していることが分かりました。
本来、本というメディアは、時空を超えて長い間メッセージを発信し続けるもののはずなのですが、いまは「消費される本」ばかりがどんどん増えている。お互いに、そのことにずっと疑問を抱いていて、「残る本」を作りたいという思いが一致したんです。
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三島 そうですね、年末に突然メールをいただいて、お会いしたのが最初でした。そのときはまだミシマ社は一人で、この自由が丘のオフィスにぽつんと僕だけがいた(現在は4人)。一冊目の本が出たばかりで営業も他社に委託しており、「会社は作ってみたもののお金は出て行く一方だし、果たしてやっていけるのだろうか」と思っていた時期でした。
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大越 三島さんが独立しようと決めたのはいつだったんですか?
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三島 去年の四月です。出版についての考え方の違いから、当時働いていた会社を辞めようとは思っていたのですが、その後どうするか迷っていました。
違う出版社に就職するか、フリーの編集者になるか。しかしどの選択肢にも違和感があった。「違う出版社で働いても同じことではないか」と思えて、もやもやする時期がしばらく続いていた。そんなある日の夜、寝てたら、「ぱっ」て思いついたんです。
「あ、そっか、自分が働きたい会社が無ければ、自分で作ればいいんだ」って。そう思ったら、視界のすべてがぱーっと広がって、目の前が明るくなった。あのときの感覚だけは、言葉では言い尽くせないですね。


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大越 まさに天啓という感じですね。
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三島 その日は朝まで、「こういう出版社を作りたい」と、いろんなアイデアをノートにメモして、一睡もしませんでした。「会社を作る」という選択が、自分としてはすごく自然だったので、迷いはぜんぜん無かった。
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大越 独立について誰かに相談したりはしなかったのですか?
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三島 それまで仕事をご一緒させていただいた著者の方々や、信頼できる知人たちに伝えたところ、皆さん「あ、それはいい」と瞬間的に言ってくれたんです。
内田先生にも「出版社を作ろうと思います」と報告したら、「ああ、それは絶対にいい。原稿を書きますよ」と仰ってくださった。それが後に『街場の中国論』に結実しました。内田先生をはじめ、非常に勘が鋭い方々から後押しをいただいたことで、さらに確信が深まり、絶対にやろうと決意しました。
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金子 しかし現実に出版社を立ち上げるというのは、流通のことや経営のことなど、様々な困難があることと思います。実際に起業してみて、苦労はありませんでしたか?
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三島 非常にたいへんでした(笑)。普通に考えれば「出版社を立ち上げるなんて異常」というのが業界的な常識でしたから。
会社を作ったあとで知ったんですが、去年つぶれた出版社が二百何社で、新しくできたのが11社だったそうです。ミシマ社は11社のうちの一つ。その数字から見ても明らかなように、出版はどう考えても斜陽の産業です。
でも僕の中では「絶対にうまくいく」という確信がありました。「とにかく面白くて良い本を作り続けること。コンテンツの力で勝負すること」にこだわり続ければ、流通をはじめとする様々な困難も「やっていくうちに何とかなるだろう」と思っていました。
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大越 31歳で会社を経営する経験なんて普通ありませんから「何とかなる」と思うしかないですよね。
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三島 僕もよく会社というものが分かっていなくて、作ったもののどうやって回していけば良いのか、さっぱりでした。
「決算って何だろう?」みたいな感じでしたから。経営者の方から「資金繰りがたいへんだぞ」と聞いて「そうなんかな?」と思っていましたが、本当にものすごく資金繰りがたいへんだった(笑)。
それまでの人生で、一度に何百万円も口座から出て行くなんて経験はありませんでしたから。大越さんと会ったときは「これはちょっとやばいぞ」というのを身をもって体験していた頃ですね。
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MIZK そのあたりの会社運営の苦労は、今回のメンバーで唯一バブルを経験した(笑)、金子さんいかがですか?
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金子 会社っていまは登記するだけで簡単に作れるから、とりあえず作ってみるという人もいますよね。やりたいことがはっきりせずに「社長になるぞ!」と独立した人は、あとで必ず苦労する。三島さんのように最初にやりたいことがはっきりある人が作った会社は、継続していることが多いと思います。
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大越 ミシマ社がその「やばい時期」を脱したのはいつぐらいですか?
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三島 ホントに最近ですよ。「何とかやっていけるな」と実感が芽生え始めたのは、つい先月くらいですね。
それまでは会社を続けていくということが、感覚として分からなかった。出版ビジネスは入金がすごく遅いんです。取次経由の委託販売だと、本を納品してから、清算されるのが7ヶ月後。
去年の12月に出した本の清算が今年の7月なんです。普通に考えたら個人でやれる商売ではない。その間も、印刷所への支払い、著者への印税、事務所の家賃など、もろもろのお金が出て行くばかりですから。

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大越 そこで6月に発売した3冊目の『街場の中国論』から、取次を通さずに直接書店とやり取りする自社営業の仕組みを作ったんですよね。
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三島 自社営業を始めて、状況がガラリと変わりました。自分たちが出したい本を、出したいタイミングで発売することで、発刊のリズムを作ることができるようになった。
売れるものさえ作れれば、少ない人数を養うだけのお金は入ってくる。それが自社営業をスタートした瞬間に分かった。資金繰りとしてはそこまで会社を持たせられるかがひとつのポイントでしたね。そこを乗り越えられたので、あとは良い本を作り続ければ回っていくといまは感じています。
出版社にとって「本=コンテンツ」と「営業」というのは車の両輪なんです。ですから、一日も早く自社営業を実現しなければいけないと感じていました。僕は会社を作るときに、「出版社である以上、最低でも百年は続く会社にしよう」と思った。数年でつぶれるような会社ならやらないほうがいいと考えていました。
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大越 長く読み継がれる出版物を出したいというのが、ミシマ社の方針ですからね。まさに「原点回帰の出版社」だと思います。
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三島 本は消費財じゃないと思うんです。自分自身が小さなときから本を読んできて、様々な先人たちに英知を教えられ、感動を与えてもらい、楽しませてもらってきたように、ミシマ社の本も10年後、20年後も読者に感動を与え続けたい。
形としての本にこだわって、装丁やデザインに力を入れるのも、短期間で消費されて捨てられるようなものは作りたくないからなんです。
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MIZK 三島さんも大越さんも、二十代はサラリーマンとして毎日忙しく働いてきたと思いますが、その頃はどんなことを考えてましたか? 希望に燃える日々だったのか、それとも、もやもやした日々を送っていたのか。
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大越 時期によりますね。仕事が本当に面白くて、二晩徹夜とかでもぜんぜん平気なときもありました。一緒に仕事をする仲間がみんなすごく面白くて、チームとして働く楽しさがとてもあったんです。
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三島 そうそう、仕事の面白さって「誰とやるか」なんですよね。ワークモチベーションを決めるのはお金などの報酬よりも、「この仕事をこの人たちとやれている」というヒューマンファクターの方が大きいと思います。
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大越 2001年に出た糸井重里さんの名著、『インターネット的』を三島さんが編集したときの様子が「ほぼ日」のサイト上に残っていますが、すごく楽しんで仕事をしているのが伝わってきますよね。
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三島 当時は、会社にいても家にいてもずっと仕事をしていましたね。一人暮らしの部屋でパソコンに深夜向かい合って、著者の糸井さんとずっとメールをやりとりしながら本を作っていました。
普通のサラリーマンの感覚でいたらああいう働き方はできなかったと思います。仕事は基本的に「やりたいからやる」ものだと思うんです。僕は子どもの頃からとにかく本が好きだったから、大人になってそれが作れるようになったということが、本当に嬉しかった。
出版社に入って、わけが分からないまま、でもがむしゃらに働いている間というのは、会社がいやだとか、肉体的に疲れたとか、まったく無かった。
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大越 僕もそうでした。「やらされている」という感覚がないと仕事は本当に楽しい
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三島 しかし何年か経って、仕事の結果が出始めて少し余裕が生まれたときに、「このままでいいのかな」と思ったんです。最初の会社を辞めたのは、仕事がいやだからではなくて、「修行がしたかった」から。
もともと僕には「修行癖」みたいなものがあって、「今よりもっと厳しい場所に自分を置いて色々なものに自分をさらしたい」と思った。そこで会社を辞めて3ヶ月くらい東欧を旅したのですが、途中で泥棒にあったりして、ぼろぼろになって日本に戻ってきた。
ほとんど無一文になったので「とにかく働こう」と次の出版社に入るわけですが、それまでずっとサラリーマン的に仕事をしてきた人たちとは、もはや同じ感覚ではいられなかったんです。僕にとっては社内での地位や出世なんかはまったく無価値で、大切にしているものがぜんぜん違った。
本を作る上で基本的なことを共感できる人たちと仕事をしていかないと、自分がだめになるし、単純に面白くないと感じたんですね。サッカーに例えるなら、バックパスばかりしているようなチームでは決して感動を与えるプレイは生まれない。仕事も同じで、質の高い個人プレイが集まって、初めて良い結果が生みだせますから。
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MIZK その考え方って、会社員だろうとフリーだろうと、これからの時代を生きていく人には全員求められるような気がしますね。どんな組織に属していようと「自分のボート」は自分で漕がなければならない。若い人にそう言うと「厳しい」と言われるんですけどね。
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大越 三島さんが独立するときには「辞めないほうがいいよ」とか、「独立なんて無謀だよ」といろんな人にずいぶん言われたとも聞きました。
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三島 そうなんです。でも「辞めたらたいへんだよ」と言う人って、誰一人独立してなかったんですよ(笑)。体を張って、個人として生きている人は、みんな賛成してくれました。そのときに僕が今後付き合っていくべき人がよくわかった。
断崖絶壁に立って、後戻りできない選択をした僕が「独立します」と告げたときのリアクションというのは、その人の人生観や生きてきた軌跡を、すべて現していましたね。
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MIZK 「たいへんだぜ」って言う人は誰も独立してないって、人生の真理かもしれないですね。確かにやったことが無いのに何が分かるんだよって思うよね。
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三島 確かに起業すると言葉に尽くせないくらいたいへんなんだけど、それは「楽しいたいへんさ」なんです。
「辞めたい」と思いながら働き続けることの「嫌なたいへんさ」に比べれば、何ほどのものでもない。
いまは会社で働いてたときと比べると、まったくストレスはなくなりました。仕事量はむちゃくちゃ増えて、設立以来すさまじく働いているけれど、変に胃が痛むようなことはなくなった。
当たり前のことが当たり前にできるというだけで、こんなに楽しくなるのかと思う。会社にいるときって、会社を離れたら生きていけないような気になるけれど、外に出てみると空気はおいしいし、健康にもいい。「会社にいるほうが安全」という時代ではない気がしますね。
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MIZK 時代も変化していますよね。20年前、30年前だったら会社が安全というのが説得力を持っていたかもしれないけれど、いまや雇用や労働環境がしっかり守られているのなんて、ほんの一部の大企業だけ。
そう考えると自分の体は自分で守らなくてはならないというリスク管理は、会社にいても独立しても変わらない。それに「独立したら楽しかった」というのはとても大事な情報だと思う。いろんな人から「やってみたら面白かった」と聞くんですが、この「独立すると楽しいぞ」という情報を流されては困る輩がどこかにいる気がするんです(笑)。
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三島・大越 なるほど(笑)。
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MIZK みんなが独立すると不都合なんでしょうね。マリファナと一緒でたいした危険はないけれど、労働意欲が減退するからかもしれません。「会社を辞めたら恐ろしいことになるぞ」というのはある種の洗脳で、「ぜんぜんそんなことなかった」ということを実証するためにも、僕たちは頑張らないといけない。
意外に最近、いい時代になってきてるなと思うのは、三島さんのように自然体で「世の中を変えよう」と行動に移す人が増えている気がするんです。僕のやっているフリスタも、現状に対して「それはちょっとおかしいよ」と声をあげる人を増やしたいという思いがある。だからこそ始めてしまった僕らは、宿命としてなるべく限界までがんばって、成功したモデルを作らないといけない。
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三島 本当にそうですね。「やっぱり駄目でした」と尻尾を巻くことは簡単ですし、「ここで辞めると決めたら本当に楽だろうな」と思ったこともあるんですけれど、そのとき「多くの人たちはこういうところで辞めていくんだな」と考えたんです。だから歯を食いしばって、「辞めなかったら絶対にうまくいく」という思いでそこは乗り越えました。
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大越 そういえば私も完全なフリー生活に入ってしばらく経った頃、フリーゆえの孤独感にやられて、「再就職しちゃおうかな」と弱気になったことがありました。渋谷のマクドナルドで三島さんに相談したら、「やり続ければ、絶対うまくいきますよ」と言われた。それでだいぶ勇気づけられましたね。
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MIZK 独立した人間は必ず、どうしても不安になるときがあるけれど、そこを乗り超えていけるかどうかが分かれ道なんでしょうね。
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三島 これまでの会社というのは大きさや強さというのがすごい大事な指標で、どんどん規模を大きく、売り上げを大きくというゴールに向かっていくのが普通でした。
でも会社を始めてみて、その立場に立たなかったら、意外にやっていけるんじゃないかと最近実感しつつあるんです。なるべく小さな規模で、自分たちが心底面白いと思える仕事を大切にしながら、みんなに愛されるラブリーな会社を作っていきたいんです。
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MIZK なるほど。いま時代の変化とともに会社も新しいかたちが求められていて、ミシマ社はその先鞭なのかもしれませんね。
フリスタでは常にチャレンジ中の、現在進行形の人を紹介したいと思っているんですが、まさにミシマ社は現在進行形の会社だと思います。「成功した格好よい経営者」のインタビュー記事は他の売れてる流行の雑誌とかに任せればいい(笑)。
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三島 本来、出版という仕事はシンプルなもののはずなんです。面白くて良い本を作って、一人でも多くの人に読んでもらうというのが原点。すべてのことをそこから考えていけば良い。
ところが今の出版社の多くは、まず達成しなくてはならない年間目標の数字があって、それを達成するためには何冊の本を一人の編集者が作らなければならないという、逆転した発想になっている。
だから売れる本が一冊出ると、それに似た本が何冊も作られる。そうすると作り手はどんどん疲弊していって、編集者自身がロボットのように消費されていってしまう。純粋に自分の中から沸き起こった「これは面白い」という感覚から本を作れば、たとえこけたとしても、絶対勉強になるし、その挑戦自体が大きな糧になると思うんです。
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MIZK 仕事をする上で、数字やお金を第一に考えない、ということですよね。昔コンビニを経営していた金子さんには悪いんだけど、僕は「コンビニが世の中を悪くした」と思っている。
というのは、コンビニが世に出始めた頃から、お金さえ持ってくれば子どもにも大人が頭を下げるという仕組みが、日本社会に根付いたでしょう。「お金をくれる人には誰にでも頭を下げる」ことが普通になって、そこから、人を人として見なくなったような気がする。「金さえ払えばいいだろう」と、レジでお金を投げてよこすような奴もその辺から増えてきた。
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三島 本当にそうですね。しかし矛盾するようですが、昔から本の売れ行きにもこだわっているんです。たまに「良い本だったら売れなくてもいい」という編集者がいますけれど、それは違う。本当に面白くて良い本であれば、一人でも多くの人とその面白さをシェアしたい。だから売るための努力はとことんします。
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大越 『街場の中国論』も売れてますね。続々と新聞や雑誌、テレビにも取り上げられ、オンライン書店のBK1では売れ行き2位になった。
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街場の中国論
内田 樹 (著)
¥ 1,680 (税込)
「街場のふつうの人だったら、知っていそうなこと」に基づいて、そこから「中国はどうしてこんなふうになったのか?中国では今、何が起こっているのか?中国はこれからどうなるのか?」を推論した一冊。「予備知識なしで読み始められ」かつ「日中関係の見方がまるで変わる」、なるほど!の10講義。 |
出来たばかりの出版社としては、驚くべき快挙です。これは感覚的な話なんですが、「楽しそうな空気」って伝染すると思うんです。私もそうですけど、ミシマ社が発散する「楽しいオーラ」を感じて、「この会社と関わると楽しそうだぞ」と思う人が、世の中に少しずつ増えていると思うんですね。それがきっと、本の売れ行きにもつながっている気がします。
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MIZK 三島さんはご結婚されてますか?
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三島 はい。妻と二人で暮らしています。
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MIZK 独立するときに、反対はされませんでしたか?
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三島 僕の中ではもう独立を決めていたので、相談というより報告という感じだったんですよね。「会社を作るから」と言う僕の顔があまりにすっきり明るかったので、反対する気も起こらなかったようです。
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大越 MIZKさんの奥さんは「独立する」といったときに心配はされなかったんですか?
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MIZK 毎日一緒に暮らしていて、理解もしてくれていたから、うちも反対はありませんでした。ただ、ちょっと泣きましたね。その頃は目白に小さなアパートを借りて住んでいて、みぞれの降る寒い夜に、二人で近くのお好み焼き屋に行って、独立について話したんです。「大丈夫だよ、大丈夫だよ」と、自分を鼓舞しながら彼女に言ってたら、「でも……秋田のお父さんが聞いたらなんていうだろう」って、少し泣いた。それは、堪えましたね。
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三島 ……それは確かに堪えますね。
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木藤 そのときは「何とかなるよ」と言うしかなかった。実際は何とかならない日々がそこから続くんだけれど(笑)。
でも最近、「自分が不機嫌だと世の中も不機嫌に見える」と感じるんです。会社にいた頃の自分はマイナス因子のカタマリで、家に戻っては「こんな人生はいやだ」と奥さんに愚痴っていた。するとそれを聞いた奥さんが「可哀相に」って泣くんですよ。それを見て、「あ、これだ」と思った。自分が辛くて悲しい生き方をしていると、愛している人も悲しませてしまう。そのときに「こんな生き方はくだらないぞ」と思った。それから一週間後には、会社を辞めていた。
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三島 仕事でそういう種類の嫌なストレスをためてはいけないですよね。ミシマ社では、会社でも楽しい働き方ができることを実現したいんです。
利益追求を最初の目的にせずに、「楽しさ」にこだわるのもそのため。お金って絶対になんとかなるもんだと思ってるんです。会社も儲かってるとはまったくいえませんが、無一文になった時期を思い返せば、「あのときよりは下がりようがない」と思える。いつも「なんとかなる」と楽観的に考えています。
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MIZK 先日、平山さんという詩人の方に、みぞれの夜の話をしたら、「そういう味わいこそが人生なんじゃないかな」と言われたんです。
「その時はたいへんだったろうけれど、情景が目に浮かぶようだ」と。「冷たいみぞれの夜に、お好み焼き屋で、がんばるぜがんばるぜってビール飲みながら空元気を出す男の前で、ほろりと泣いている女。なんていう郷愁を誘う絵なんだ。そういうことを味わうことこそが人生の味なんじゃないか。良い会社にいて何の苦労もなく、でかいマンションに住んで、テレビとか見てる人生よりよっぽどいい」と言われて、「ありがたいな」と思ったんですよね。
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三島 本当にそうですね。僕も妻の後押しがあったから、何とかやってこれた。
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MIZK 人生の節目のときにどんな女性といるか、というのはすごく大切な気がしますね。僕も独立した最初の頃に妻が働いてくれて、本当に助かった。だから奥さんには一生頭が上がりません。今回の記事ですが、「奥さんを大事にしよう」という結論でどうでしょうか。
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一同 異議なしです(笑)。
(了)
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